タマホームと二世帯住宅

タマホームで二世帯住宅を建ててもうすぐ10年です。家や二世帯生活について、良かったこと悪かったことを書いていきますので、参考にしてください。



このブログの運営者である私のことについて正直に書いてみる(学生編)

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今日は、私自身のことについてです。

自分を客観的にみるため、正直なところを書いていこうと思います。

「そんなことに興味ない」と言われるかもしれませんが、ちょっとお付き合いください。

 

小学生時代

小学生時代から書くとすごい長くなりそうですが、まぁ人生を少し振り返ってみるといことでは、意味がありそうなので書いていきます。とは言っても低学年の頃の記憶はほとんどないので、高学年の時のことですね。

勉強は、あまりできない子でした。通知表でいうと2と3がほとんどで、4は一回も取ったことがありません。勉強についていけないからなのか学年が上がるごとに成績は悪くなっていきましたね。

親に言われて塾にも行きましたが、全く成績はあがりませんでした。

なぜ、成績が上がらなかったのか。今でははっきり原因が分かります。それは、教えてもらったことを理解することができないからです。もしかしたらそもそも理解する気もなかったのかもしれません。勉強が嫌いだったので、早く時間が過ぎないかなぁっていつも考えていました。これではいくら家で親に教えてもらっても塾で教えてもらっても自分の身にはなりませんよね。

勉強に関してはそんな感じでした。

 

勉強以外の生活はどうだったのか。友達は多かったと思います。学校が終わったら毎日、誰かと遊んでしましたね。友達で集まって野球をすることが多かったですが、ただ今考えると親友と呼べるような友達はいなかったのかもしれません。無意識に自分で線を引いていたのかもしれません。

まぁでも学校へ行くのが嫌だと思うことはなかったので、学校生活は楽しかったのでしょう。

 

ただ嫌なことが一つあって、今の時代では考えられないかもしれませんが、学校の先生に毎日のようにビンタされていました。私だけではなく、同じ学年の生徒ほぼ全員。

すごい若い先生で、教育実習が終わったばかりの先生でしたが、何かにつけてビンタしてくるんです。

廊下を走っていたら・・・ビンタ

授業中しゃべったら・・・ビンタ

学年集会の時、手が少しでも動いたら・・・ビンタ

もうビンタビンタの嵐でしたね。今考えてもよく問題にならなかったなぁって思いますよ。

子供ながらにこんなことしていて、学校はなんで問題にしないのだろうって思ったものですよ。

その先生、身長が180㎝くらいあって、手も大きかったので、メチャクチャ痛かったです。鼓膜破れるんじゃないかって感じでした。

年齢的には、今、50代半ばなので、もしかしたらどこかで校長先生になっているか、体罰が問題になって学校を辞めているかどっちかですね。

 

部活は、野球部とサッカー部をやっていました。しかし野球部はわざとではないんですが、後輩の顔面にボールをぶつけてしまい、顧問の先生から「お前はもうクビだ」って言われて退部することになりました。その日、泣きながら家に帰ったのを思い出します。ショックだったんですね。

その後、顧問の先生から部活をやりたいならもう一度やってもいいぞと言われましたが、私は頑なに「やりません」と答えそのまま退部しました。

なんか変に頑固だったということと、今考えると根性もなかったのだと思います。

情けないですが、部活に戻る勇気がなかったんですね。

 

中学校時代

義務教育なので、当然ですが、無事に中学校へ入学することができました。

成績は、オール3に2が少し混ざっているくらいの普通よりちょっと悪いレベルでしたね。相変わらず勉強は嫌いでした。

小学校と違い中学校は科目ごとに先生が違うんですが、印象的な先生がいて、一人は担任の先生ではなかったですが、社会を教えてくれた生活指導の先生ですね。

いつもサングラスみたいなメガネを掛けて、木刀ではないですが、木の棒を持ってました。見た目から怖いんですが、実際も怖かったです。忘れ物をするとその木の棒で叩かれますし、何か問題を起こしても木の棒で叩かれます。

思いっきりは叩いていないんですが、でもすごい痛かったですね。

もう一人、英語の先生なんですが、これも忘れ物をすると英語の辞書の角で頭を叩かれました。これ相当痛かったです。というか衝撃がすごいので、目が飛び出そうになります。

優しい先生もいましたが、怖い先生もいて、緊張感のある雰囲気でしたね。

 

部活は、1年生の時は、入っていなかったんですが、2年生からラグビー部に入りました。ラグビー部に入った理由は、部員数が少なかったので、試合にでれそうだからという理由です。部活は楽しかったです。

でも一度、他の部員と揉めたんですよね。まぁ私が悪いんですが、土曜日の練習をサボって遊びに行っていたのが、皆にバレて、喧嘩になって「それなら辞めたるわ」って辞めてしまいました。

小学校の時も辞めて、中学校でも辞めてというとちょっと性格に問題のある人間ですね。ただ、中学校の時は、親から「そんな辞めてばかりいてどうするの」って言われて、自分でもさすがによくないなっと思い、部活のメンバーに謝って、戻ることにしました。

それ以降は特に問題ありません。

中学校での生活全般は、なかなか面白かったえです。ただ、今現在、付き合いのある友人はいませんので、もしかしたら親友はいなかったのかもしれません。

 

高校時代

高校は、自宅から少し離れたところに行っていて、友達も色々な場所から来ていました。友達を遊ぶと言っても住んでいる場所が反対方向なので、基本的には学校生活のでの友人しかできませんでしたね。

正直、小学校、中学校と違って、ほとんど思い出がありません。まぁそれにりに楽しんでいたとは思いますが、う~ん記憶がないですね。部活にも入りませんでしたし。

ただ、一つ思い出すことは、高校に入ってから大学に行きたいと強く思ったことですね。小学校、中学校と勉強嫌いでしたが、高校に入ってからは、大学に行って遊びたいって強く思うようになりました。多分、兄の影響ですね。

なので、勉強を頑張った思い出しかありません。

 

浪人時代

高校で大学に行きたいと強く思うようにはなったわけですが、元々が勉強嫌いなので学力が足りず、大学合格を勝ち取ることはできませんでした。

でも、大学に行こうという気持ちはあったので、浪人することにしました。

予備校は、代々木ゼミナールです。

国語が苦手だったんですが、この代々木ゼミナールにすばらしい国語の先生がいました。名前が確か、青木先生だったかな。大阪の先生だったんですが、メチャクチャ面白い先生で、授業もまじめに聞いていたので、国語の成績が劇的に伸びましたね。予備校に行っていたのが、今から25年くらい前ですが、今でもその先生のことは鮮明に覚えています。確かその当時、26歳っていっていたので、現在は51歳ですね。

もしかしたらまだ講師をしているかもしれません。

面白い話で生徒を引き付けて、そこから国語を教えるという一種のテクニックを使っていたのだと思います。

しかし今思えば、努力は嘘をつかないということを実感した一年でしたね。

 

大学時代

予備校で頑張った甲斐もあり、志望する大学に入ることができました。

ただ合格とともに私自身は、すごい調子が悪くなってしまいます。調子が悪いというのは、体調ではなく心ですね。予備校の時、目標をもって毎日10時間以上勉強して、志望校に合格したわけですが、あまりに集中しすぎて、合格することがゴールになってしまったのです。本当であれば、合格して入学することがスタートにも拘わらず、ゴールになってしまったわけです。

最初の三か月くらいは、学校へあまり行く気もしないし、円形脱毛症や顔面神経麻痺にもなってしまいました。検査しても何も異常はなく、精神的なもんでしたね。

頑張って合格した大学でしたが、正直、大学へいくのもつらかったですね。

でもまぁこのままではいけないと思いサークルに入り、友達もできて何とか大学生活を軌道に乗せることができました。

大学生活は、学校には毎日行っていましたが、友達と遊んでばかりいましたね。多分、麻雀は毎日やっていました。

勉強はあまりしなかったですね。

大学も高校の時と同様にこれといった思い出がありません。楽しんではいたと思いますが、一生懸命になれるようなこともなかったし、何となく過ごしていた4年間だったと思います。

 

最後に学生生活を振り返ってみて

率直な思いとしては、何か目標を持って、もっと勉強しておけばよかったなぁって思います。

まぁ今仮に学生時代に戻れたとしても、勉強しないかもしれないですが・・・

長々とした文章、お付き合いありがとうございました。

次は、結婚するまでのことを書こうかなぁって思っています。